篠山藩(丹波国)の城下町。街並みや祭りなど、京の文化を色濃く受けている。豊かな山々に囲まれた一方で、稲作以外の産業が乏しかったこともあり、江戸時代後期には何度も一揆が起き、その都度、農民が副業として冬季に酒造業が盛んな灘(摂津国)へ出稼ぎに行くことを認めたり、京都から京焼の名人を迎え、窯を開かせたりと産業を作る様々な工夫がされてきた。王地山焼はその当時に生まれた現代にも残る希少な磁器である。