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日本六古窯として850年の歴史を誇る丹波焼には「丹波の七化け」という言葉がある。これは、時代や社会の変化に応じてかたちや技術を柔軟に変え、新しいものを生み出してきた丹波焼の流れや精神を表すものだ。そんな「丹波の七化け」を体現するように、昇陽窯の大上裕樹さんも多彩な作風で丹波焼の魅力を発信している。

裕樹さんは、二代続く陶芸家の家に長男として生まれたが、学生時代は別の道も考えていた。転機となったのは、祖父であり初代・昇さんの葬儀だった。陶芸家としての祖父の姿を周囲から聞き、強く心を動かされたことが、陶芸家を志すきっかけとなった。
父であり二代目の裕さんは、サラリーマンから陶芸家へと転身した人物。「外でいろんなものを吸収することも大事だ」という父の言葉に背中を押され、裕樹さんは金沢美術工芸大学へ進学。その後、瀬戸の陶芸家・鈴木五郎氏に弟子入りし、修行を積んだ。修行を終えたのち、奥様とともに世界一周の旅に出て、各地の陶芸や工芸の産地を訪ね歩いた。そして現在は、父の工房がある坂の下に自身の工房兼ギャラリーを構え、奥様や弟子とともに作陶を続けている。

裕樹さんの工房の隣にある登り窯を上がっていくと、父 裕さんの工房につながっている

いろいろ試して、削ぎ落とされたものが残っていく

伝統的な器から丹波焼の技法、鎬(しのぎ)をアレンジした鎬象嵌(しのぎぞうがん)など個性的で多様な作品を生み出す裕樹さんに、発想の源が何かを聞いてみると意外な答えが返ってきた。
「ぼく器用貧乏なんですよ、だからいろんなものをつくっているんだと思います。でも陶芸家って定年のない仕事、つまり長距離走だと思っているんです。例えば、年齢を重ねると今やっている鎬象嵌(しのぎぞうがん)など細かい作業はできなくなる。だからその頃にはきっと別のことやっている。いろんなことをやって、残っていくものが自分らしいもの。だから今はいろんな人と出会って心が赴くまま、感受性が錆びないうちはそれを素直に作品にしようと心がけています」

陶芸が他の工芸と比べて、アイデアをかたちにしやすいというのも様々な作品作りを行う大きな要因なのだという。
「アイデアが浮かんでも、テキスタイルはミリ単位でデザインしないといけないし、木工は削ったら戻れない。他は時間がかかるんです。金工もスケッチや図面が必要になってくる。でも陶芸は朝思い立ったら夕方にはできている。ろくろを回しながら、かたちにしていくんです。師匠からも『陶芸にスケッチはいらない、頭で考えるな、感覚で入れ』と教わりました」

工房やギャラリーには、個性的で多様な作風の器がずらりと並んでいる

丹波の土は扱いづらい、だからこそ話しかける

その時々の感覚を大切にしている裕樹さん。土をさわりながら、土そのものから「どんな作品になりたいか」を教えてもらうこともあるという。

「金沢や愛知の瀬戸など、いろんな場所で土をさわってきましたが、丹波の土は扱いづらいんです。コシがないというか、粘りもないというか。コシのある土なら、何度も上にのばしても垂れずに立ち上がる。でも丹波の土は沈んでいくから、一度で目標の長さに持っていかないといけない。一発勝負だから、それだけ技術が求められるんです。しかも粘りがないので、薄くすると割れてしまう。だから丹波焼はどっしりしているでしょう」

それでも、先人が長年使い続けてきたこの土にこそ魅力を感じる。だからこそ、あえてこの土で勝負したいのだという。そのために欠かせないのが“土との対話”だ。

「失敗するということは、この土がその形になりたくなかったということ。窯から出して割れてしまっていると、これはちょっと独りよがりだったな、対話が足りなかった、土に無理させてしまったと思うんです」 そう語る裕樹さんの目は、優しいまなざしで器を見つめていた。

窯の中は1250度を超える世界。その中を作品がくぐり抜けてくる間、こちらは手を差し伸べることができない。

「人間の力が及ばない、まさに“神のみぞ知る領域”なんです。だからこそ面白いし、土としっかり向き合うことが大事なんです」

土はすべてをうつす、だから心を整えて土と対話する

「土は、つくり手の性格や状況をすごく映し出すんですよ。初期の頃の作品は今よりもトゲトゲしていて、その時は気持ちもピリピリしていました。妻は『この頃の作品もいいね』と言ってくれるんですけどね。本当に、土はすごいんです。だからこそ、こちらも素直に裸で向き合わないと対等ではいられない。土の可能性をもっと知ってほしい、そう思うからこそ、いろんな作風に挑戦しているというのもあります」

昇陽窯のギャラリーで開催されたイベント「土に活ける」では、焼く前の“生の土”の球体を裕樹さんがその場で花器へと変え、花道家・矢田青幸先生が花を活けていく。
「焼き固まっていない生の土を使うっていうのは、あまりないチャレンジですよね。でもあれも土の可能性をみんなに知ってもらいたいと思って生まれたんです」
裕樹さんの手によって持ち上げられた土の球体は、落とされ、ぐにゃりと歪み、削られ、思いもよらないかたちの花器になる。そこに花が活けられると、生の土に寄り添う花は本来の姿を取り戻し、喜んでいるようにも見える。どんなかたちにもなれる土からは、自由と無限の可能性が伝わってくる。

相手がいる、そこで初めて完成する

「土に活ける」の花器は一点ものに近い存在だが、日常使いのお皿や器のように量産するものも、誰かとのコラボレーションで完成するのだと裕樹さんはいう。

「焼き上がった作品って、未完成なんです。器やお皿は料理がのってこそ完成する。盛り付けやすいように、真ん中には絵柄を入れないなど、つくる段階から意識しています。だから完成した状態を見ることができるSNSはよくチェックしますね。この盛り付けいいな、トマトとのコントラストが映えるなとか。思ってもみなかった完成形に出会えることもあります。花瓶にお花じゃないものが活けてあったりして」

使い手の感性が加わることで、新たな景色が生まれる。そこからまた刺激を受け、次の作品へとつながっていく。
常に僕は、誰かとコラボしているんだと思います。一緒につくる人、使ってくれる人、そして人間だけじゃなく、土や炎も。すべてが響き合って、ひとつの作品が生まれるんです」

そう話す裕樹さんは、土の可能性だけでなく炎や、器としての丹波焼、郷のくらし、などすべてを通して「丹波焼としての可能性」を探っているように感じる。

昔は外に出て刺激を受け、
今は外から来た人に刺激をもらう

「土には自分がうつる。だから今は、いい人といい時間を共有し、いいものを体に取り入れることを心がけています」裕樹さんがそう思うようになったきっかけは、丹波焼の郷にも増えてきた移住者の存在だった。「移住してきた人たちは、丁寧な暮らしを楽しんでいる。薪ストーブを焚いたり、塩や醤油を手づくりしたり。労力はかかるけれど、そこにはお金では測れない温もりがある。そんな人たちと過ごす時間が増えて、あらためて、こういう時間が大切なんだなと感じるようになりました」

また昇陽窯は、トランクデザインやミテモ株式会社、丹波立杭陶磁器共同組合などと共に始めたクラフトツーリズム「陶泊(とうはく)」の宿泊先にもなっている。陶芸家の家に泊まり、陶工や産地を巡り、暮らしを共にする体験だ。

「陶泊ではお客さまとの距離がぐっと縮まります。夜の食事やお酒の時間に濃い話をするので、盛り上がるんです。その後もお歳暮をいただいたり、農家さんからは季節の野菜や果物が届いたり。こちらも黒豆をお返ししたりして、長く続く関係になるんです」

時には外国人も訪れるという。先日はアメリカの陶芸家が滞在、言葉は通じなくても陶芸のことは身振り手振りで十分に伝わったという。熱意は、言葉の壁を越えて心を動かす。

陶工の営みに触れる旅「陶泊」

 

その場で完結する作陶体験『楽焼』

裕樹さんは海外からのお客さまと接する中で、焼き上がった器を後日海外へ発送するコストをなんとかしたいと感じるようになった。そこで思いついたのが「楽焼体験」だ。「もともと大学での研究テーマでもあったんですが、楽焼はろくろを使わずに20〜30分ほどで焼き上がるので、短時間で思い出深い体験になると思います。同じ釉薬でも炎のあたり方で色が変わることや炎の熱さを感じてもらえ、みなさん感動されています。この楽焼体験は、これからもっと広めていきたいですね」
先日も、体験中の様子を見て中国からのお客さまが「自分もやりたい」と飛び入り参加したという。炎と向き合い、自らの手で仕上げた器をその場で受け取る体験は、旅の記憶として心に強く刻まれる。

楽焼体験の申込みはこちら

丹波土を二度楽しむ体験として、昇陽窯とトランクデザインでの楽焼体験ツアーを企画しました。トランクデザインの店舗にて素焼きの状態の器を購入、素焼きの状態だからこそ感じられる丹波土の風合いを楽しみ、昇陽窯にて釉薬を塗ってオリジナルのおちょこへと完成させる。完成前の素焼きの状態の器と、釉薬を施して完成した状態の器。ものづくりの過程を感じながら、丹波土を二度楽しむ今までにない体験となっている。

丹波土を「2度楽しむ」、楽焼体験

100年後の丹波焼に向けて

2020年、コロナ禍ですべてが止まったとき、裕樹さんは自分たちの活動を徹底的に見直したという。「こんなコンテンツがあったら強い、こんなコンテンツはまだない」と奥さまと夜通し語り合い、調べ、練り上げたものが今の活動の礎となっている。

「この時ずっと話していたテーマが100年後の丹波焼に向けてなんです。100年後は僕は生きていないし、あまりない発想かもしれない。でも産地で生きる人間だからこそ考えるんです」

丹波焼のシンボルでもある全長47メートルの最古の登り窯は、120年以上も使われ続けている。火入れの際には立杭の陶工たちが集まり、夜通し炎を焚き続ける。その奥には先人の陶工たちが眠る墓があり、煙がその方角へ立ちのぼると、不思議と時を超え、共に炎を燃やしているような感覚になるという。
「100年後の丹波焼の未来に必要だと思ったら、迷わず挑戦する。丹波焼の郷を盛り上げる。これをまず5年続けたら、周囲に影響を与えられるかもしれない。そう思って動いていると、陶泊をはじめ多くの人との出会いや協力が重なり、5年目の今、ようやく土台が整ってきた気がします。だからこの5年というのは丹波焼全体の歴史850年の中でも、大きな転換期になったと思っています」

コロナ禍から5年を経た2026年、新たな挑戦が始まろうとしている。
「来年からは作家・大上裕樹としての活動に、より重点を置いていけたらと思っています。郷の活動も続けますが、本来のアーティストとしての思考に立ち返り、個展などを通して“今の大上裕樹”を表現していきたいですね」

時代や人、そして土との対話のなかで、七変化を超えてなお無限のかたちへ進化し続ける。
丹波焼の未来を見据える裕樹さんの作品から、これからも目が離せない。

ディレクション:TRUNK DESIGN Inc
編集・撮影:TRUNK DESIGN Inc
文章:森田 那岐佐

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