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瀬戸内海に浮かぶおよそ13万人が暮らす兵庫県・淡路島。

離島としては最も人口の多いこの島は、日本一の線香、お香の産地としても知られている。中でも多くの線香メーカーが工場を構える島の中西部を走ると「良い香りのおせんこう」という潔いキャッチコピーの書かれた看板が目に飛び込んでくる。

今回訪れたのは創業83年を迎える株式会社大発。笑顔で迎えてくれた代表の下村暢作(しもむらちょうさく)さんは、淡路島に14人いる香りのマイスター・香師の一人だ。挨拶をすると、受け取った名刺からも香りが広がった。

出迎えてくれた代表取締役の下村暢作さん(左)と製造部の中谷幹太さん(右)

日本のお香発祥の地・淡路島

香りを楽しむという文化は非常に長く、紀元前から世界の各地で香木を焚く習慣があったとされている。

日本におけるお香文化について「日本書紀」に記述がある。推古天皇3年(595年)に淡路島の海に沈香の木が漂着し、薪として燃やしたところ素晴らしい香りがたちこめたため帝に献上したと。そう、淡路島は日本におけるお香発祥の地なのだ。

平安時代になると貴族や武士の間にも、消臭という目的も含めて、衣服や甲胄に香りをつける風習が生まれる。そして、室町時代になると香りの芸術として香道が生まれ、お香は市民の生活文化の一つとなっていった。

堺から伝わった生産の技術

今では日本一の生産地となった淡路島だが、線香の生産が始まったのは江戸時代後期。その生産技術を淡路島に伝え、戦前まで国内最大の産地だったのは大阪・堺だ。

鎖国していたころ、中国大陸からの貿易品である香木は貿易港のある堺から輸入された。公家や寺が集まる京都や奈良に運びやすいという地理的要因、仏壇の一般家庭への普及も手伝って堺のお香産業は時代とともに繁栄していく。

江戸も終わりに差し掛かる1850年に、淡路島西部は堺と気候が似ていることから産地としての可能性を見いだされる。西側に海があり、風向きや気温が近い淡路はお香づくりの工程の乾燥に適しているはず。季節風により漁に出られない時期に家内工業が発達し、淡路島にも線香職人を次々と生まれていった。そんな中、太平洋戦争によってお香産業の状況は一変する。

戦火により堺のまちは焼けた。

皮肉にも、弔いのためのお線香が必要なときに、線香をつくることができなかった。そんな時期に堺から多くの職人が淡路へと移ってきたという。「うちのじいさんもその一人ですわ。淡路島は空襲にあってないので全部残ったわけですね」大発は下村さんの祖父・下村哲山さんが昭和11年(1936年)に境で創業し、戦後は淡路島で生産を続けた。昭和30年代半ばには淡路島は線香生産量日本一となり、現在では全国生産量のうち約7割を占めている。

三代目となる下村暢作さん

繊細なお香づくり

現在、大発が主に生産しているのは棒状の線香と和紙にお香を練り込んだ和紙香の二つだ。線香の主な原料はタブの木の皮を粉末にしたタブ粉と呼ばれるもの。これがつなぎの役割を果たしながら、ゆっくりと燃焼していく。タブ粉を水で練って粘土にしていき、そこに香りをつける香木や色をつける染料をブレンドする。「粉もんてわずかなところで性質変わってくるんでねえ。理想に近づくために何度も何度も繰り返します」

粉を混ぜていく工程は粉が飛散するため、他の工程とは別のフロアで作業を進める

粘土のブロック状になったものを乾燥させて、機械で線香の形に整形していく

独自の製法が生み出した和紙香

一方、和紙香づくりはここからが本番だ。一度線香にしたものを蕎麦屋で使っている石臼で挽いて粉にしていく。

「蕎麦って風味を楽しむ食べものやから、石臼も香りを消さないようにできてるんですよ。こんなことしてるのは全国でもうちくらいやないやろかね(笑)」と下村さんは無邪気に笑う。電動ミキサーでは温度が上がってしまうし、胴搗式の機械では振動で近所に迷惑がかかる。さまざまな試行錯誤の末、独自の生産工程に行き着いたようだ。そして和紙の原料である楮と一緒に漉いて、乾燥させて和紙香はできあがる。

ぐっと押し付けて、和紙の水分を抜いていく

奥深き香木の世界

「香木ってのがまた深い世界でねえ」下村さんは前のめりに語る。

香木といえば、白檀(びゃくだん)や沈香(じんこう)、伽羅(きゃら)といったものが主流だが、木を一本まるごと香木として使えるわけではないという。「木が倒れたり、傷ついたり、虫に食われたりして木がダメージを受けた時に、防御策として芳香のある樹脂を出すんですね。その部分を切り出したものだけが香木として使えるんです」不思議なもので人工的に傷をつけてもいい香木をつくることはできない。

つまり、本当に自然しか生み出すことのできない天然の香りなのだ。質の高い香木の産地はインドや東南アジアに限られており、その価値はワシントン条約の輸入規制なども手伝って高騰を続けてきた。「質のいいものだとね、一キロで100万円を超えてきますよ。最高級の伽羅なんかは一昨年一億円を超えました(笑)」

数々の香木コレクション。そのまま火で炙っても上品な香りがする

コラボレーションからはじまるイノベーション

大発の下村さんは太子町にある神戸マッチ、TRUNK DESIGNとともに「hibi」という商品を開発した。長きに渡って線香と和紙香をつくり続けてきた下村さんにとって、他社とコラボレーションして商品開発をするのは初めてのことだったという。

「2011年でしたかねえ、当時は面識もなかった神戸マッチの嵯峨山さんから連絡があったのですよ。お香のマッチをつくりたいって。正直、無茶なこと言うなって思いましたね(笑)」折れやすい線香をマッチの軸として使える強度にするにはどうすればいいか。具体的な方法は検討もつかなかったが、線香と和紙香の間の配合でうまくいくような予感がしたと当時を思い出しながら語る。「それから毎月プロトタイプをつくっては会ってね。うまく行かないときは焼肉で慰めあったりしてね(笑)マッチとしての強度と安全性。香りの調整を合わせると、完成までは3年半かかりましたね」

数え切れない試行錯誤を経て、「hibi」は完成した

デザイナーとも他のものづくりの会社とも一緒にやるのは初めてだったこともあり、最初はとても違和感があったという。

「こっちは香りのプロなのに、みんな勝手なこと言ってくるでしょ(笑)でもそれが自分だけでは考えられないものをつくるには必要なんでしょうね」

ブランディングやプロモーションは他の人が考えて、自分はマッチの軸づくりに専念する。本来一つのものに集中するほうが得意なんですよ、と下村さんはちょっと照れくさそうに話す。

「hibi」は世界28カ国(2019年8月現在)で販売される人気商品となった

その後下村さんはTRUNK DESIGNとともに、火がついていなくても香りを放つ和紙のお香「ku」、そして毎日使えるスタンダードなお香「Daily」を商品化した。「素材屋として何ができるかが楽しみなんですよね。お香を使って新しいものを作っていきたいですね」

仏具としてのお香の需要は減少している。その中で香りを楽しむツールとしてのお香を通じて新しいライフスタイルを提案していく取り組みは、産地に変化を生み出している。伝統に縛られずにまっすぐ価値に目を向けることで、新しい伝統がはじまっていくはず。

下村さんのような楽しむことを忘れない人がきっと未来を切り拓いていくのだろう。たまには立ち止まって、自然の香りに身をゆだねながら。

 

ディレクション:TRUNK DESIGN Inc.
撮影:仁志しおり
編集・撮影:TRUNK DESIGN Inc.
文章:柳瀨武彦

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