兵庫県小野市を中心に製造されている、「播州そろばん」。
播州そろばんのはじまりは、天正年間(1573~91年)の頃。安土桃山時代、豊臣秀吉の三木城攻略時に、大津に逃れた住民がそろばんの技法を習得し、地元に帰って製造を始めたのがきっかけと言われている。
当初は、兵庫県の三木市周辺で製造されていたが、その中心が徐々に小野市へと移り変わり、昭和35年には年間360万丁が生産されるなど、一大産地となった。
播州そろばんは主に業務用として発展してきたが、珠算の道具としてだけでなく、今では伝統的工芸品としても高い評価を受けている。
電卓などの普及により最盛期より需要は減ったが、現在は子どもの教育ツールとして再注目されている、そろばん。
再燃するブームを牽引しているのが、小野市にある株式会社ダイイチ。製造企業が減少する中で、小野市で唯一そろばんに関わる事業だけを行っている会社だ。
そろばんの製造のほかに、オリジナルのそろばんづくり体験ができる「そろばんビレッジ」の運営も行なっている。
ダイイチの4代目で、現在は会長を務める宮永英孝さんが、播州そろばんの仕事に携わり始めたのは、大学生の頃。宮永さんは3代目の父・実治さんに声をかけられ、ダイイチの業務を手伝っていた。
大学卒業後は、東京で働く予定だったが、卒業式直前に「大問題」が発生。業務の手伝いとして、ある企業からそろばん1万丁の注文を受け、納品した後、その企業と翌日以降連絡が取れなくなった。
納品をした後で、代金が支払われない詐欺にあってしまい、その損失を取り戻すために、東京には行かず、ダイイチで働くこととなった。
「詐欺にあったことはすごく残念でしたが、それがきっかけでひとつ大きな事業につながるきっかけができたんです。納品した1万丁のそろばんの行方を調べたら、最終的に大阪の会社に納品されていたことがわかって。そこでその会社に返品を依頼したんですが、『すでに支払いをしているから難しい』と言われてしまったんです。それでも『詐欺をした企業から取り戻せないなら、せっかくだから何か違うものをつくって売るのはどうか』と言ってもらえて、そこで、自分がよくやっていた麻雀から着想を得て、麻雀の点数を書けるノート付きのそろばん『テントリーパッド』を製造して、その大阪の会社が卸で販売してくれることになりました」
当時は雀荘が流行っていたこともあり、テントリーパッドの売れ行きはよく、「損害分を取り戻すことができた」と宮永さん。その後もさまざまなアイデアでそろばんを発展させた商品をつくり、周囲からは「小野のエジソン」と呼ばれることもあるという。
現在、一般に流通しているそろばんはプラスチック製のものが多い。一方で、播州そろばんは、玉を通す籤(ひご)や玉の一つひとつから骨格まで、木や竹といった自然素材でつくられている。
もともとは手作業でつくられてきたが、現在は、技術を持った職人が開発に携わった機械を使って製造。その機械が開発されたのは、1950年代。玉を削って、弾き出す、繊細な作業を行う特殊な機械は、時計メーカーにも「素晴らしい機械だ」と称賛されたほどのものだ。
そろばんの製造工程は、玉削り、玉仕上げ、籤竹、組み立ての製造工程ごとに分業で行われている。
「そろばんは玉の穴の直径が3.05mm、桁の太さが2.95mmで、しっかり合っていないと機能しない。その繊細な作業ができる機械を、1950年代に開発して今も現役で使えているんだから、発明した職人さんたちが本当にすごいんですよ」
また、ダイイチでは、播州そろばんの技術を活かして、知育玩具やキーホルダーなどそろばんに関連するユニークな商品を多く製造している。
宮永さんは、「そろばんを使わない人が買う時代」というテーマを掲げ、普段そろばんを使っていない人がダイイチの商品を手に取るようなアイデアを描き、事業を展開してきた。
「播州そろばんを維持していく。その目的のために、商品開発や販売を行っています。運営しているそろばんビレッジもその目的を達成するためのひとつ。播州そろばんを今後も維持していくためには、そろばんの製造方法や使い方の良さを知ってもらいながら買ってもらうことも重要だと思っています」
宮永さんとトランクデザイン代表の堀内康広の出会いは、2011年に開催されたギフトショー。知り合いの紹介で、堀内がダイイチのブースを見学した翌日に宮永さんがトランクデザインの事務所に訪れた。
事務所を訪問してすぐ宮永さんは堀内へ、そろばんを使った商品開発を依頼。しかし堀内は「すでに地場産業のプロデュースに強いデザイン会社〈シーラカンス食堂〉と組んで、多くのプロダクトを開発しているので、新しくつくるのではなく、それらをどう販売していくかを考えたほうがいいのではないか」と提案し、播州そろばんを日本国内ではなく、海外に販路開拓していくための事業をスタート。
堀内は播州そろばんについての理解を深めるために、ダイイチに通い、そろばんの製造工程を見学したり、当時の取引先を確認したり、そろばんの販売方法を検討。その中で着想を得たのが、そろばん塾の人気だった。
「当時そろばん塾が人気で、そろばんを計算学習として取り入れる塾が多かったんです。その様子を見て、そろばんというもの自体ではなく『計算学習をする』文化を売っていくのはどうかと思いました。そこで、そろばんづくり体験と計算学習をすることがセットになったワークショップを海外で行うことを提案しました」と堀内は当時を振り返る。
それから、計算ができる喜びや楽しさを感じてもらうために、そろばんを使ったワークショップを通して、海外での販売先を増やす事業を展開していった。
台湾、中国、ベトナム、シンガポールなど、宮永さんと堀内はともに多くの国を巡りながら、ワークショップを開催した。
「今そろばんは140ヵ国に普及していて、それぞれの国でそろばん学習が行われています。日本のマーケットだけでなく、それらの国々で事業ができる可能性を広げられたのはとても嬉しいこと。堀内さんたちのおかげもあって、播州そろばんを守っていく手段を増やすことができています」と、宮永さんは笑みをこぼしながらも、これからまだまだやっていきたいことに溢れているようだ。
ダイイチでは、海外での販売やワークショップの開催、そろばんから発想を得た商品開発など、今なお多くのプロジェクトが進められている。
「播州そろばんは、自然素材でつくられていて、使いやすさと美しさを備えた道具です。その分プラスチック製のものと比べて、高価になってしまいますが、その値段の違いを納得してもらえるだけのよさをしっかり伝えていきたいと思っています。今も中東やアメリカの新しい取引先とやりとりをしているところで、まだまだ播州そろばんを世界に広げていける可能性を感じています」
柔軟なアイデアと職人たちの伝統技術を融合させながら、「播州そろばんを維持する」ダイイチの取り組みはこれからも続いていく。
ディレクション・撮影:TRUNK DESIGN Inc.
編集:柳瀨武彦
文章:宮本拓海