伝統工芸の地域では、後継者不足に悩む地域も少なくない。日本六古窯に数えられ八百年以上にわたり受け継がれてきた丹波焼。ここでは親子二代、三代に渡る窯元も少なくなく、二十代三十代の若者もよく見かける。たとえ親子であっても作家であり職人であるため、お互いの作品には干渉せず尊重し合う関係にある。そのため作業場やギャラリーは親子で別にもうけられていることが多いが「市野伝市窯」では親子二代でならんでろくろを回している。
「親父が引退するまでは親子三人でならんで、ろくろをまわしていました。うちは親父の代から水がめ、すり鉢、菊鉢や朝顔鉢などをつくってきたんです。1960年頃に山野草の愛好家から依頼を受け、その後植木鉢に特化した窯元となります。今では伝市鉢と鉢に名前もつけてもらっています。」
そう話す達也さんが見せてくれた鉢は、底についている穴が大きく、厚みがしっかりしておりシンプルで優しいフォルムをしている。
「草花が育つ環境をつくる鉢、山の代わりをする鉢、そこを意識してつくっています。
まず草花が成長するのに大切なのは適した水はけです。水はけも良く同時に水持ちも良くないといけません。そして適度な通気性も必要です。伝市鉢はガラスの器より、一、二週間花持ちが違うとお花の先生をされている方から聞きました」
いったい他の鉢とどこが違うのだろうか。
「この鉢の環境をつくるには、丹波の土が適していると私は感じています。ここの土には花を腐らせない何かがあると思います。そこにオリジナルの土を三種類混ぜ込むんです。混ぜ込むことによって土の強度が増し、通気性が良くなる。つまり水は漏れないけど、空気が通る環境ができるんです。その土を何割混ぜ込むかなどのバランスは親父の代から今も変えていません」
伝市鉢にしたら球根が二級から三級に変わった、四、五年咲かない花が植え替えたら翌年咲いたということもあるという。
昔丹波では、茶道や床の間に飾るものをつくることが多かった。植木鉢は、床の間に持って上がるものではなく土の上に置くものだから伝統工芸ではないと言われることもあったそうだ。
「だから絶対負けないぞという気持ちでしたね。穴が開いてるだけが植木鉢ではないと思い、土づくりそして花の勉強もしました。お客様と対話しているうちに、園芸の方が多いのもあって、なんとなく植物に適する鉢がわかるようになりました。植物の根は下にのびるもの、横にひろがるものがあります。だからその植物に合わせた鉢選びが大切なんです。
植物のサイズを大きくしたいのか、そのままがいいのか、植物に合った鉢を選んでもらえれば枯れることはありません。だからうちに来られたお客様とはまず『何植えはるんですか?』から会話が始まります。いろんな人と出会って話をして、知らないことを知ることができるのは楽しいですよ」
終始にこやかな表情の達也さんの話は、お寺で法話を聞いているような感覚になる。
伝統工芸に限らず後継者不足が叫ばれる今、なぜ丹波焼の里では、息子の弘通さんをはじめ、若い陶工が戻ってきているのか。
「八百年以上続くということは人がよくないと続かないと思います。流通があるというのは人がいい証拠です。良いものをつくっても、売るのも買うのも人ですから。人と関わってお互いのいいところをとりあって生活していく。新しいことが入ってきた時、拒否や反対は簡単だけど、受け入れてどう判断するのかが一番難しい。情報は、みんなに出し合って、独り占めせず、産地についてはみんなが我が事として考える、それが大切ではないでしょうか。ひらけた産地で何か新しいしかけをしていきたいですね。」
伝統の継承と革新、多くの葛藤と迷いをくぐり乗り越えてきた達也さんの言葉には、深い重みがある。
「お客さんが来てくれて対話して買ってくれる、イベントにも積極的に参加する。そんな親の背中を見て子供は自分もやりたいと思うのではないでしょうか。とにかく日々楽しく暮らすことが一番大切だと思っています。」
「あと丹波焼には問屋がないのも大きいのかもしれません。お客さんと僕らだけだから、自分達で何とかしないといけない。だからお客様と話をして、何をいくつつくるかも値段も自分で決める。間に問屋があったら、お客様の顔も知らないかもしれないですね」
職人であり作家であり、そして商売人でもあるからこそ培われてきた人間力。それが丹波焼の里で暮らす人たちであり、ここを訪れる人がまた来たいと思う魅力のひとつではないだろうか。
この日は穴窯の火を入れる初日、息子の弘通さんが火入れから戻ってきた。穴窯は一度火を入れると燃やし続け、三日三晩寝ずの番が続く。
「今日はまだ、たき火のような炎なのでそんな大変ではないです。それが二日目、三日目とだんだん火が大きくなってきて本焼きになってくると顔面も暑いし手先も痛くなる。手間がかかる作業だけど、これを好んでやってるんです。楽しいですよ」
以前は工場の廃棄水などのろ過装置の営業をしていたという弘通さん。
「突然戻ってきて今、四年です。仕事は楽しく辞めなくてもよかったのですが、営業でいろんな人に会う機会があり、外に出てみると自分が特殊な環境にいたことに気づいたんです。
この分業が進んでいる時代に、つくって売るまで自分でできるのは珍しいことです。そう思ったので相談も何もせず突然帰ってきました。陶芸あかんかったらまた仕事探そうぐらいで。あと家が元気そうだったという雰囲気もありますね」
そんな弘通さんを父達也さんはびっくりしていたものの、反対はされなかったという。
基礎だけを学びに京都の学校へ一年行き、その後は父の横でろくろを回し同じものをつくっている。
「戻ってきた今は楽しいですよね。父親からはあれしろ、これしろと言われたことはありません」
達也さんは、お客様から声がかかったらあえて弘通さんが行くようにしているという。自分は作陶に専念し、外のことは任せていると。だから今はいい関係でいられるのだという。弘通さんに今後やりたいことを聞いてみた。
「今はもっと技術をしっかりさせたいです。あと、窯をまずしっかり焼けるようになりたい。穴窯は焼いた感じの火の入る具合がおもしろく、作品にも自然のつくりだす力強さがあります。しっかり灰がかかっていたり表情が多彩なものが人気です。
『窯を焼きました』と言うと次の日の朝九時から来てくれるお客様もいて、早くに売れてしまうものもあります。接客も楽しいですね。世間話が多いですけど僕も植物が好きなんでその話をしたり。だから、今はその期待にもこたえるためにもっと技術をしっかりさせたいです。でも楽しいのが一番ですね」その笑顔から伝市窯の今後に期待が膨らむ。
「楽しい」それが二世代共通するキーワード。楽しく働いて楽しく暮らす、見失いがちな生活の基本がここにはある。つくり手の想いが作品に宿り、それが鉢というかたちになって植物の成長を支える。奇跡を起こす鉢の秘密はここにあるようだ。
ディレクション:TRUNK DESIGN Inc
編集・撮影:TRUNK DESIGN Inc
文章:森田 那岐佐