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兵庫県の中南部、神戸市の北西に位置する三木市。日本で最も歴史ある「鍛冶のまち」として知られ、播州三木打刃物と呼ばれる、鋸(のこぎり)・鉋(かんな)・鑿(のみ)、鏝(こて)・小刀は伝統的工芸品に指定されるなど、金物製造が盛んな地域だ。
そのきっかけとなったのは、1578年(天正6年)羽柴秀吉の三木城攻め。城主・別所長治の三木城を攻め落とした秀吉は、焼け野原となった三木の復興のため、免税政策を行い、他地域に散らばった人々の呼び戻しを図った。そこで、集まったのが、大工とその道具を作る鍛冶職人たち。焼けた寺や家屋の復旧を行った。復興が進み、三木の街が活気づいてくると、大工仕事がなくなり、集まった大工たちは京都や大阪などへ出稼ぎに行くように。すると、他の地域に行った大工が持っていた道具の質が評判になり、鍛冶のまち・三木としての認知が広がっていった。

2019年の三木市全体の工業製品出荷額のうち、約13.8%は金属製品。また、三木金物の得意とする手引のこぎりは、三木産の製品が全国シェア約12.9%。新たな技術革新を繰り返すことで、現在は大工道具だけでなく、金属加工・新建材用工具など、さまざまな金物製品の開発・製造が行われている。
そうした長い歴史の中で培われてきた伝統を受け継ぎ、包丁の製造を行なっているのが、「三寿ゞ(みすず)刃物製作所」。金物づくりの中でも「研ぎ」を専門とし、職人向けの最高級品や、気軽に使用できる家庭用万能包丁など、飲食店から一般家庭まで、あらゆる用途に応じた包丁を製造・販売している。その三代目を務めているのが、宮脇大和さん。

三寿ゞ刃物製作所の存続のために。後継ぎとしての決心

宮脇さんが、包丁の研ぎ師になったのは、2005年。37歳まで、広告会社の会社員として働き、妻の父で二代目の鈴木明さんが亡くなったあとに、後を継いだ。もともと、会社員時代から年1回開催される「三木金物まつり」で販売の手伝いをしたことがあったが、研ぎ師としての仕事を行ったことはなかった。しかし、先代が病に罹り、仕事を続けることが困難になると「三寿ゞ刃物製作所が存続できるように何かできないか」と、後を継ぐことを考えるようになった。
それでも、包丁メーカーとして会社を存続させることの難しさを感じていた二代目から許しがもらえなかった宮脇さんは、二代目には内緒で、取引先であった大阪の包丁メーカーに志願し、研ぎや包丁づくりの基本を教えてもらうように。その知識を活かして、近所の人が持ってくる包丁の研ぎ直しを請け負うようになり、経験を重ねていった。
「会社をやめたのが2005年の5月で、先代が亡くなったのが同じ年の10月だったので、技術的なことは、ほとんど先代から教われませんでした。最後まで、本人から後を継ぐことを許してもらえなかったんですが、一度『研いでいる包丁を見せてみろ』と言われて持っていったら、『よう、研げとう』って言ってもらえた。一回きりのやりとりでしたが、それがすごく励みになっています」

「ステンレス割込包丁」を開発。日本で初めて製造

三寿ゞ刃物製作所の創業は1946年。戦前まで、京呉服の染物を生業としていた初代・鈴木信次さんが、戦中に染物の仕事を続けられなくなったことをきっかけに、地域で盛んだった金物の製造を始めた。創業当時から、受け継がれているのが「ステンレス割込包丁」。鋼を、ステンレスで挟み込み、よく切れて錆びない包丁を実現した製造方法だ。他のメーカーも多く製造するなど、現在は一般的によく使われているステンレス割込包丁を、日本で初めて製造したのが、三寿ゞ刃物製作所。
「ステンレス割込包丁の構造は、鉛筆と一緒です。芯だけで使うとすぐ折れるから、木で鉛筆の芯を挟むように、鋼をステンレスで挟み込むことによって、鋼をより硬くすることができます。それまでは鋼を軟鉄で挟んで造られることが多かったんですが、ステンレスを使うことで、全体を美しく磨いた包丁を作れるようになりました」

宮脇さんとトランクデザイン代表の堀内康広との出会いは、2015年。明石市で開かれた、金物職人が集まる会議がきっかけだった。
「それまで製品を見て、『仕入れさせてほしい』と話をしてもらうことはよくあったんですが、その中でも製造方法に興味を持ってくれたり、伝統的な技術や製品をどう残していくかを一緒に考えてくれたりしたのがとても新鮮で、嬉しかったのを覚えています。すごく信頼ができて、この人たちと一緒に仕事ができたら、長く包丁を造り続けることができるなと感じました」

伝統の「三寿ゞ型包丁」と新たに開発された「積層鍛地包丁」

Hyogo Craftでは、三寿ゞ刃物製作所が製造する包丁のうち、「三寿ゞ型包丁」と「積層鍛地包丁」の2種類を取り扱っている。三寿ゞ型包丁は、初代が考案したデザインを継承。菜切型、文化型、牛刀型など、包丁には様々な形があるが、この包丁は独自の形をしているため、「三寿ゞ型」と名付けている。スタイリッシュなデザインが印象的で、家庭で使われることの多い「文化型」と同じ頃に誕生した。
「日本人は、移動する狩猟民族とは違い、定住型の生活だったので、昔は用途ごとに包丁が何本も家にあったんです。戦後、日本でも包丁一本でなんでも切るライフスタイルが広がり、ちょうどその頃に初代が『三寿ゞ型』を開発しました。僕はこの包丁のデザインがとても日本的な道具だなと思っていて、大好きなんです」
以来、時代に合わせて材料や技術を進化させながらも、デザインはそのまま引き継いで製造している。
「なかには、代々三寿ゞ型の包丁を使い続けているご家族もあります。特に地元の人がよく使ってくれていて、三寿ゞ刃物製作所のフラッグシップモデルです」

ブレード全体に波模様が入っているのが特徴の「積層鍛地包丁」は、ステンレスとニッケルを重ねた層で鋼を挟み、鍛造(叩いて強度を高める)と研ぎを行うことで、この模様が現れる。1.8mmの厚みに、重ねている層の数は鋼を合わせて45層。層を多く重ねることで「コシが出る」のだという。
「コシを出すと真っ直ぐ食材が切りやすい。コシがなく、やわらかい包丁は、使うのが難しい。調理方法によって、得手不得手があるんですが、コシがある包丁のほうが誰もが作業しやすくて、色々な部分を使って食材を切る日本の調理方法には合っていると思っています」

また、三寿ゞ型包丁と積層鍛地包丁のもうひとつの特徴は、ハンドル(柄)部分。現在多く使われているリベット(金具)で柄を留めるものではなく、和包丁の伝統的な差し込み式で柄を取り付けている。「私たちが製造している包丁のほとんどは、和包丁柄のタイプ。金具を使わずに、少しの接着剤と木の弾力で刃を止めているので、軽さを出せる。『包丁は疲れにくい道具であるべき』と考えているので、その上で軽さはこだわっていることのひとつです」

 

さまざまな包丁を製造している宮脇さんが、大事にしているのは「いい包丁を長く使ってもらいたい」という想い。今は包丁が安価で購入できる時代。消耗品のように繰り返し買い替えて使うのではなく、ひとつの包丁を長く使い続けることのよさを伝えていきたいという。
「洋包丁は金具で柄が留められているので、丈夫な反面、壊れてしまうと修理代が高くなってしまう。一方で、和包丁は洋包丁に比べると木製の柄が劣化しやすいんですが、手軽な金額で簡単に柄を取り替えることができます。それに、包丁は刃を研ぐことで、切れ味を買ったばかりの頃に戻すことができる。柄を取り替えたり、刃を研ぎ直しながら、自分が好きなお気に入りの包丁を愛着を持って使い続けるよさを感じてもらえると嬉しいです」

柄には漆が塗っているものも。漆を塗ることで、軽さと耐水性を両立し、木製の柄が腐りやすいというデメリットを解決した。

柄には漆が塗っているものも。漆を塗ることで、軽さと耐水性を両立し、木製の柄が腐りやすいというデメリットを解決した。

 

食卓を囲む人の笑顔をつくるものづくり

包丁の研ぎ師を務めて、18年。技術を身につけながら、包丁の製造を続けてきたが、「もっと研ぎを極める必要がある」と宮脇さん。職人としての鍛錬を続けながら、今後は「包丁に限らず、ものづくりによって食卓を囲む人たちの笑顔をつくりたい」と話す。
「今は包丁をつくって、会社を経営することに一生懸命なんですが、将来的には包丁に限らず、ものづくりを通して『食卓を囲む人たちの笑顔をつくりたい』と思っています。今は『包丁いらず』で作れる料理のレシピが人気で、もしかしたら100年後には包丁がなくなっているかもしれない。それでも三寿ゞ刃物製作所としては、包丁のように、食べ物に関わる道具づくりを続けていけるといいなと思っています。食卓を囲む人たちを笑顔にする、その軸を持ったままどんなものづくりができるかを考えていきたいです」

伝統を絶やさないために、包丁の研ぎ師となって、ものづくりを続けている宮脇さん。目の前の包丁に向き合いながら、未来を見据え、今後どんな製品をつくっていくのだろうか。これからの、三寿ゞ刃物製作所、宮脇さんのものづくりがとても楽しみだ。

 

ディレクション・撮影:TRUNK DESIGN Inc.
編集:柳瀨武彦
文章:宮本拓海

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